彼女の事情

どうもこんにちは、pajamajpです。最近はブログをもっと更新したいなと思ってます。なぜなら誰にも言ってない自分の中の考えが多すぎてまとまらないのと、それから人生は短いから…。本当は毎週がいいけど、ノルマにすると下書きから出てこられなくなる記事が多くなる気がするし暇があったらブログ書くみたいな感じでやっていきたいですね、そのぶんクオリティーが落ちることが予想されますが、更新頻度アップキャンペーンをみなさんどうぞよろしく。

毎日昨日のことが思い出せないくらい凡庸な日々、変化といえば摂取するコンテンツくらいでみんなどうやって毎日の変わらない日常に対してモチベーションを保っているの?いや、モチベーションなんかなくてもやり過ごせるのかしら?私は生きる意味がないので2年前くらいから毎日2話ずついろんなアニメをみていて、それをたのしみに生きてるみたいなところがある。いまは彼氏彼女の事情をみていて、外身はいいのに内面がグチャグチャな有馬総一郎さんが好き。高校生のとき付き合ってたマリンバ弾きの男の子に中身のグチャグチャ具合が似ていて、毎話見たあといろいろ思い出してしまってうまく眠れなくなる。彼、有馬総一郎が宮沢雪野を好きなのと同じくらい私のことを愛してくれていた。私はと言えば、彼のことは好きだったけれど、身長がもうちょっとでも高ければな、と思ったりしていて、結局他者から受ける評価を気にして自分の気持ちを優先できず、過剰な自意識から抜け出せないことに気持ち悪くなっていたことを一気に思い出す。彼氏彼女の事情、刺激が強すぎる。

昨晩は友人の家でワインを飲みすぎて、気持ち悪くて午前中はほぼ仕事にならなかった。友人と過ごす時間、昔に戻ったみたいでついはしゃぎすぎてしまう。何時に帰ったのかよくわからなくなっていた。帰りの電車が1時間くらいあって、友人の一人と一緒のルートだったので、酔っぱらってなんか最近思ってたことぜんぶ言ってしまった気がするのだけど、何を言ったかわからないし、帰り道エモくなって泣きながら帰ってて、道行く人にめちゃくちゃ心配そうな顔で見られてたのだけど、なにが悲しくて泣いてたのか全く思い出せない、と朝まだ酒の残った頭で考えていたけどいまでも思い出せない。アルコールで記憶がなくなるとき、海馬が麻痺しているとのことで、記憶が消えるのではなくそもそも記録されてないらしいですよ。そんなもの思い出せるわけないよな。友人に聞けばわかると思うけど、たぶん聞かないほうがいいだろう、後悔することになるしね。

3月2日のオードリーの武道館ライブ、誰かと一緒に行きたいなと思ってたけど行く人がいないから先行発売も見送ってたけど、一人で行けばいいことに気づいて一人で行くことにした。友人宅でYouTubeみてて全然関係ない番組の中で突然オードリーが出てきたときにどぎまぎしてしまって私、めちゃくちゃ好きじゃんって気づいたから!でももし行くって人がいれば誘ってね。私もオードリーの2人くらい話がうまくなってみんなを楽しませたいです。

白鳥へのラブレター

少し前のはなしですが、8月9日木曜日によなかさん(@_ynk)のバレエの発表会へいったことについて、書かなくてはならない義務のようなものを感じていたものの、ストーカーのブログぽくなったので長らくお蔵入りにしていましたが、ストーカー部分を推敲してやはりここに記します。

 

よなかさんとは過去に1、2回?くらいしか実際にお会いしたことはなくて、でもまあ毎日インターネットで見てるみたいな関係、すっごく仲良しとかいつも遊んでるそういうのではないので、突然発表会に行くの、いいのかなと迷ってもいたけど、険悪な仲ではないし、なにより私が行きたかったので行かせてもらった感じ。

よなかさん。頭がキレるし、自分の意志が固いし、仕事も勉強もやっているし、それにずっとバレエをやっているので憧れてる。私は幼稚園のころ、大人になったらバレリーナになりたかったけど、人生で一度もバレエはやったことない。大人になってからは1年に1回くらい本物をバレエを、1年に4回くらいバレエのライブビューイングを見に行くようになったけれど、バレエのあれこれについては月並みな知識しかない。

あとこれは私の確実な偏見なのだけど、fateアーサー王とか、シュタインズゲートの牧瀬紅莉栖とか、アニメを見ていて突然「あっこれ誰かに似ているな」と思って、よくよく考えたらよなかさんだったみたいなことがある。女の容器に入れられた強い人間の魂という共通項があると勝手に考えている。そしてキュートな見た目も似ているとも思う。

その日私は仕事を2時間早く上がって、池袋駅で予約した花を受け取って電車に乗った。電車で、隣の大学生っぽいカップルはイヤホンを二人で分割してyoutuberの動画を見て爆笑していた。2駅ほどで前に赤ちゃん連れの夫婦が来てしまい、席を譲ろうかとも思ったけど、気づかないふりをしてやり過ごしていたらそのまま寝てしまった。同じ駅で降りたので気まずかった。

駅から歩いていると、ホールの方から出番を終えた子どもが何人か出てきた。安堵の表情で保護者と歩く姿に、よなかさんの幼少時代への想像と、自分の幼少時代のピアノの発表会の回想とを重ね合わせた。800人収容の客席の真ん中あたりは大分埋まっていて、どこに座るとよいかわからずとりあえず入り口から近いところの端に座っていたが、目が良くないので途中でかなり前方へ移動した。白鳥の湖2幕の途中だった。今まで何度かプロの白鳥の湖も観たことあったけど、発表会との一番の違いは、技術云々や完成度ではなくて、1人1人がどれだけ輝くかということに重きが置かれていることだと思った。まあ演者の年齢等もバラバラなので白鳥が子どもからおばさんまでいろいろいて、仮に文字通りの意味の「白鳥の湖」が本当にあったとしたらこんな感じだろうなと思いながら観たりした。3幕の、フィアンセの踊りのよなかさんは控えめに言ってもめちゃくちゃきれいだった。他の演者ステージで客から観られているのを意識しているように見えたけれど、よなかさんは客から観られていることに対して、それを意識する以前に、彼女の役としての演技をステージ上のよなかさんは、一人だけで完璧に完成していた印象がある。とにかくかわいくて輝いてて、よなかさんの好きな人はこのよなかさんの輝きを見に来なかったことを後悔すべきだと思った。あと三人で踊ってた小学校中学年くらいの子どものうち2人の女の子が異様に上手かったのが印象的。

4幕が終ってカーテンコールで文字通り先生が持ち上げられて、みなに花を1本ずつもらって泣いてるのを見てなんか私も号泣していた。最近輝いてる人や自己実現に向けて努力を怠らない人をみるとすぐに尊さを感じて泣いてしまうのが悩み。よなかさんも泣いていた。ツイートをみていて、いろんな思いがあるということをなんとなく知っていたので、ああ、こういうときは感情が爆発するよなあと思ってみていた。

終演後花束を渡すためにロビーで待っていたのだけど、白鳥の衣装ままの子どもたちや大人たちがドアから少しずつ出てきて妖精みたいだった。居心地が悪くてそわそわしてたけど、なんかよなかさんと会ったら、さっきまで舞台にいた人に会うのが緊張してしまって表面的な話しかできなかったので後悔しています。花が渡せたのでとりあえずよかったことにしよう。

帰りの電車の中で、自分の生活について振り返っていた。自己実現に向けてなにかしたい気持ちがあったのに、なんにもできずに3年くらいすぎていた。大学時代のセクハラ呪縛から全く逃れられていないことも、いま生活で手一杯なことも要因だった。その点よなかさんの輝きはやっぱり私の憧れだった。胸がいっぱいで、駅で吸ったタバコ1本でお腹がいっぱいになってしまった。

 

さて、ここまでが8月のブログ。今日私は東京文化会館へピアノリサイタルに行って、次の次のボーナスくらいで、家にピアノを買うことを決めた。今弾きたい曲は、ベートーヴェンソナタ第13番です。なぜなら今日赤松林太郎さんが弾いてたのがものすごくよかったから。今日のコンサートで使われていたスタインウェイ倍音まではっきり響いていたことで、私も鳴らしたい!と久しぶりになった。そう思わせるピアノが弾けるのすごいな、さすが指導者として受賞するだけあるよ。私は人になにか感じてもらうためとか、誰かに満足してもらうためとかじゃなく、自分のために、自分のためだけに表現をまたやりたいな。

だから私のためにいてほしい

台風の嵐の中この記事を書いていて、嵐のよるにみなさんにこれを読んでもらって時間を潰してもらいたかったのだけどあいにく間に合わなかったので台風一過の今日も続きを。

もう2ヶ月もブログを更新していなかったことに驚いていて反省してますというか、この2ヶ月間まるで無駄にしているという感覚しかないというか、いや私の主体的な選択が実行されたときに無駄にしていなかった日などあっただろうか?スマホに文字を打ち込むのがラインですらだるくて、パソコンはウイルスバスターの契約切れでインターネットに接続したくないし(自己へのサービスのためにお金をかける余裕がない)、一番いいのはキーボードをブルートゥーススマホにつないで打つことなんだけれど、押入れからキーボードを出して、充電しつつスマホに接続してブログを開くというその行為(なんだそれ)自体がだるかったし、そもそもブログへのモチベーションを持つことすらだるかった。近況を報告していなかったのでしばらくみなさんに心配してもらうことが多かった気がする。もちろん精神的な安定を一定程度守って生きているので、なにか大きな出来事や事故や病気はありませんでしたが、心が揺れる出来事ってもうなんでこんなにあるんだ!?ってくらいあるよね。心を消耗しまくっているので書くよ。

大学の同級生の結婚式だった。みんなにお祝いされて夫婦が幸せそうだったし、良かったと思う。結婚式、明文化されていないおかしなルールばかりでかなり困惑するしあれはやめたほうがいいけど、やりたい人はいるだろうということがわかったし、やりたい人はやっていいということがわかった。私に絶対にできないことも平然とやってのけていてることに素直に感心してしまった。でかいスプーンで相手に食べさせるとか、司会者の突然の質問に答えるとか、みんなの前で両親への手紙を読むとか、というかそもそも今の私はみんなの前で堂々として立つことすら難しいと感じる。そういうことが堂々とできることはいいことだと思うし、みんながんばっていってくれると良い。

しかしでもやっぱりここで終わったよ、私たちのレヴューは。

(このあとの話に関しては、大学生なんてそんなものだろう、私にも同じようなそんな青春あるわ、と感じられる方もいると思うが、それはあなた自身の体験であって、私自身の体験としては別個に特別に存在していると考えてもらいたい。)

私たちは同じ大学の音楽サークルで過ごしてきた9人だったけれど、性格が全員不一致で、個性的で、バラバラだった。リーダーは名目上は存在したけれど、誰かに牽引されるというよりは、音楽と言う名の仮想敵(いや味方?)に対してそれぞれの自由な活動の相互性で9人が竜巻様に渦巻いて突進し続けているような感じで関わっていた。それぞれがそれぞれを特別な存在として必要としていてどの1人が欠けても成り立たなかった、とは全く言えないし、1人いなければいないなりにうまく行っていただろうとも思う、それは私も含めて。しかし、私の8人の同級生はそこらへんの青春群像劇の登場人物よりも鮮やかでぐちゃぐちゃで輝きがあった。私はそこに所属できたことに誇りを感じることができるし、一方同時に私がそこに所属していなくても残りのみんなは同じように存在していただろうとも思う。私たちの関係性は限られた時間や環境の中での偶然的な産物でもあり、いつかおわりがくることは理解しており、ただそれがやってきただけだった。というかやってきたのではなくそこへたどり着いただけとも言える。私が終わりを感じたのは、結婚式で私達の関係性が外に開かれ、『新郎の学生時代の友達グループ』になったからであった。いい意味でも悪い意味でもなく、ただそうなっただけのことだった。それをありありと感じられるのはある意味で私達が閉鎖的なグループだったからなのかもしれない。私達の一人が、私達以外の人を同じステージ上いやそれよりもさらに高いところに登らせるのみて、私達が何度も何度も上演してきた青春のレヴューはここで終了した。もちろん私達の関係性は続くし、結婚した人と縁を切るわけでも、家族を持つ人に対して嫉妬するわけでもない、ただ今までとは変わったというそれだけのことである。
結局私は当日体調が悪かったこともあるが、考え事が多くて、結婚式の空気感に当てられて、楽しそうなみんなを遠巻きに眺めているうちに4次会になっていて、主催者からものすごく心配されてしまった。辛気臭い顔していたであろう自分が恥ずかしかった。当日全然話してないのに、私について一言目が「あんまり悪いことを自分一人で抱えるなよ」だって?私の近況をぜんぶお見通しだったってわけだ。めちゃくちゃ泣きそうになってしまったが、ここは結婚式なので、私は関係ないので「ウン、ありがとう」と言ってホテルへ帰った。いまおもえば泣いてもよかったのかもしれないな。新郎の元恋人でもある友人ははそのまま5次会へ行った。楽しんでいるのか、気を使っているのか(そもそも誰に対して?)本意がわからなかったので放置した。ベッドに入ってもいろんなことがフラッシュバックしてなかなか寝つけなかった。そういえば少女歌劇レヴュー・スタァライト幾原邦彦のn番煎じか?という意味ありげな比喩表現が多用されており正直そこまで好きなアニメではないけれど、何かに似ているなと思ったら、私達、いや私?だったというところでようやく眠ることができて時間は午前3時すぎだった。5次会へ行った人が帰ってくるのが聞こえた。

彼らや音楽の話は思い起こせばまだまだあるけど自分で自分の墓を荒らすことになるのでここまででやめておく。最近みんなの人生をみていてこんなふうにおわって(はじまって)いくんだなと感じることが多い。でもまた私は今週も深夜ラジオを聴いてインターネットをして心をインスタントに満たしつつ、消耗してるなあと感じながらおわっていっている。本当は心をインスタントに消耗したくない。だから、

人間の国

6月の終わりから7月前半にかけてずっと良くない感じが続いていたことでみなさんから心配してもらったりして、なんとなく申し訳ない気持ちになったり、おちこんだりもしたけど私はげんきです。

まあ私の悩みは取るに足りない、一般的な悩みなので内容について書くとみながっかりするだろう。またそういう悩みは恋人に相談しろよといった意見はあるだろうが、恋人については生活共同体といった感じで、気持ちのアップダウンについてはお互い口を閉ざしている、良くも悪くも。私は一般的な、家庭でよく話す女ではなく、会社の愚痴や実家の話、私自身の考えについては必要でない限り話さない(ようにしているのかもしれないけれど)。そうなってくると会社と家の往復の生活の中で話し合いという話し合いがおよそ存在していないことになる。通常の生活なら全くそれで事足りるのだけど、自分自身のことでどうしても考え込んでしまうことがあると、夜な夜な枕を濡らすみたいなことが起こって、友人とたまにあったときに暴発することになる。その頼りにしている友人も、もうすぐ海外にいくとのことなので、私は何かしら枕を濡らさずに済む方法を10月までに編み出さなくてはいけない。海外に住む決断をする自由さ、なぜか私は失っている。私は保守的な人間になっているし同時にそれがどうしようもなく憎い。

宝石の国の漫画を8巻まで買って読んでいる。ただ擬人化された宝石がワイワイ過ごす話かと思っていたら、話としては普通に戦争で、そのギャップを気に入って読み進めている。物語の中では石の特徴を活かしたキャラ設定になっていてそれらが適当にワイワイやっていてもそれなりに楽しめるなあという印象はあり、普通に売れそう(というか売れている)で、伊勢丹とかでやっていたイベントもそれぞれのキャラクターと石とを展示するようなものだった。私は宝石や鉱物自体は好きだけれど、その石とキャラクターとの短絡的な結びつけと商品化、それから消費されるキャラクターとしての宝石が苦手な感じがしていた。しかしこの話の一番の魅力は主人公であって、宝石ではないということが本当に本当に声を大にして言いたい。まあ確かに、宝石というのは、キャッチーで取っつきやすいものではあるとは思うのだけど。主人公の最大の魅力は姿形性格全てがどんどん変わっていくことである。それも、もともとの宝石の特性ではなく、失われた体の部分を異なる素材の物質で代替することで、自分が変わっていく。その変化があまりにも急激なので、長い漫画読めないマン(私)に優しい。8巻の間で、手足顔がすべてそれぞれ別物に置き換わってしまった。そしてもう見た目なんか別人になってしまったのだけど、別人の身体をもらっていく中で頭が良くなって、頭が良くなる中でもともとぼんやり持っていた欲望や目的がどんどん研ぎ澄まされていって、それでも自我は常に保ち続けているという、一体心はどこに宿るのだろうね?人間は脳みそだけど。書いていて思ったが本当に私はこういうのに弱いな(草薙素子然り)。自分の外側が変わっていくのに自我を保ち続けられるっていいよね、魂って感じで。宝石の国の主人公、フォスフォフィライトが私の新しい憧れ、草薙素子より身近(石だけど)な感じがする。でも私は人間なので手足頭を取っ替えることできない。そうすると私が変わりたいと思うとき、やはり何かを投げ出す・捨てる・取り替えるような意志・決断・勇気が必要、それさえあれば、私のいまのぼんやりとした欲望や目的が、どんどん研ぎ澄まされていくのでは?と、いう淡い期待。

 

 

 

サロメと思われる構図の好きな表紙です。

 

 

塞がっている

いろいろ考え込んでしまい、なにもかもうまく行かなくなっている。私自身が塞ぎ込んでいるし、常に八方塞がりで打つ手なし。誰にもうまく話せず、かと言ってこのまま一人で閉じこもっていても状況は変わらず、しかし誰かに助言をもらったとしても全く活かせる自信がないほど余裕がない。緊張状態が続いているのは単に疲労のせいではないと休日に一人で家でじっとしていてなにも変わらないのを見てわかった。この焦りや疲れや不安感を誰かに共有すべきとは思うのだけど、誰とも共有できないくらい、ここ2年くらいの私は周囲に高いコンクリートの壁を建て続けてきて、ようやく完成したところ、インターネットもしなくなったのではなくて、できなくなったのではないか。他者という出口を作ってこなかったので、ついに穴の中に一人(実際に、家に帰れば恋人はいるのだけれど、そういうことではなくて)、上からじりじり焼く日差しを壁の日陰でなんとかしのぐ状態になってしまった。誰かとしっかり話すべきだと思う。相手に伝わる話をできる自信がない、それはトライしてみないとわからないけれど、今、誰に対しても信用がないのが本当に良くない。壁を崩してまた誰かに自分を晒すことってできるの?(うまく行く気がしていない)

世界を革命する力を

一つ大きな仕事がおわった。いい意味での終わり(例えばみんなが何かを発表するだとかなんらかのプロジェクトを実行するだとかそういうこと)、ではない。ただ1人人が去っていっただけなのだけど、私の仕事は人と会うことなので、人が去ること=おわりということになる。ほっとしてもいるし、あれで良かったのかという疑念を抱いてもいる。皆、私に若いうちは経験ということで私に大変な人と会う仕事を任せきりにしているが、私はお前らがやらない、やりたくないだけだろ、と思ってしまうのは、私にはすぐに人を馬鹿にしてしまう癖がついているからだろう。まあそれをありがたい気持ちで受け取れる人間にはなれないので、とりあえず、はい(クソ)と言って受け取りこなしている。まあ大きな仕事は、どうやってもおわりはおわりなので、来週からほんわかし感じで出勤していこう。

私はこれを電車の中で書きながら鬱屈した気持ちを抱えていたのだけれども、相変わらず丸ノ内線では後楽園から乗ってくるチャラチャラしたサラリーマンとOL集団が騒いでいる。スーツ男はがに股でポケットに手を突っ込んでドアに大きな音を立てて寄りかかった。あまりに典型的な威圧のポーズに笑ってしまった。

インターネットにアクセスしない日々、特に何も変わらない。インターネットをしていないと考えたどうでもいいことを話す場所がないので、考えたことをノートにメモしている。ノートを見返すと、電車で女にされた嫌がらせについて詳しく書かれている。インターネットに書くより自由な表現で。

最近また音楽がやりたいけれど、どうしても悪い思い出(3~4年前のブログでも見てくれhttp://pajamajp.hatenablog.com/entry/2014/06/01/012407)が付き纏ってしまいなかなか踏み切れないでいる。まあやってみれば音楽は楽しいからそんなこと忘れちゃうのかもしれないけれどね。しかし大学に置いてあるコントラバスから何年間も逃げ続けている(知らない後輩らに申し訳ない)。あのまま楽器を本当は燃やしたい。私は4年間もの間結局ずっと向き合えないでいる。そのことについてもう誰も気にしてはいないけれど、私は気になり続けている。まあ、楽器と直接関係のあることだったので向き合うことは今後もずっと無理かもね。大学のとき、そのことについてカウンセリングに行っていたが、相手にお金を請求できる話を聞いて、その後は行けなくなってしまった。一体その程度の心の脆さでどうするんだパジャマジェーピー。 まあこれの解決は何にせよ一人では無理だよ。

なにもかも逃げ出しておわりにしたいことがよくあるけれど、べつにおわりになったからって状況はそんなに変わりはしないし、結局同じような別の現実はすぐそこに存在していて、どうしてもその中で過ごすしかないのだけど、それでもおわらせる決断をすることはなぜかとても体力がいる。いままで逃げていて残してきた事をひとつずつ終わらせなくてはいけないような気がしている。

壊れかけの休日について

こんばんは、ぱじゃまじぇーぴーです。最近イヤホンを無くして、2週分のラジオが聴けなかったので、人生の楽しみを見失っているところです。人の話を受動的に聴けなくなるだけのことで、本当に楽しみのない人生に一瞬で変わってしまうことに驚いたので、もう少し自分の人生の中で主体的に楽しみを見つけないと、つまんないとか、なんか変わんないかなとか思っているうちに、死ぬなあとしみじみ思っている。だけど特に何するわけでもないし、だからつまり、いつもどおりの私の人生が続いているだけなのだった。

さて、この一昨日5行で終わってしまったブログの続きを書こう。昨日は平日の休みで、朝寒くてベッドから出ずに布団の中で今週分のラジオを聴きながら笑ったり考えたりしていた。インターネットを見ていたらこの記事(https://cakes.mu/posts/6433)が何かにくっついて出てきたので読んで、ふーん、お笑いの批評みたいなものもあるんだな、と思う。まあ批評と言えるかどうかは?だけど。Amazonのカートに文庫本を追加。

 

 ここまで読むとただのオードリー大好きOLじゃん!って思うけど、私の彼らに対しての1番の感情は、本物の憧憬であるということをみんなに知っておいてほしい。高校のときにトランペットが上手くて、私をかわいがってくれていた先輩が、オードリーの大ファンだったのを思い出す。彼女、どうしているのだろう。

響けユーフォニアムを最近見ている。私はみんなの予想通り、高坂麗奈が好きだ。8話の終わりで「私、特別になりたいの」のシーンで泣く、特別になれていない私、特別になるべく努力した結果何者にもなっていない私。トランペットの上手い私の先輩も、特に特別になった話は聞いていない。特別になりたいんだけど、一体特別って何なんだ!という気持ちが、深夜のラジオ番組からは相変わらず溢れている。

 後輩と会って、寄生虫館へ行った。気温が低くてまとわりつくような雨が降っていた。コンビニのスモーキングルームで自分たちのバカみたいに安い賃金の話をする。後輩は健康的とはいえないものの、以前より元気そうだった。自分で勝手にどんどん不安になることがなくなったらしい、とっても良いことだ。寄生虫館は、なんか目黒駅から少し歩いた所にあって、ふつうの、中小企業の雑多なオフィスビルくらいの大きさしかなくて、見た目は全く迫力がなかった。しかもなぜか平日なのにデートスポットなみに混雑していてカップルみたいな人も多くて驚いた。寄生虫は面白かった。図書館で寄生虫についてまた調べよう。寄生虫館を出ると雨は止んでいた。目黒には昼から飲めて喫煙できて敷居が低くて安い店が無かったのでジョナサンへ行く。平日昼下がりのジョナサンの喫煙席、不思議空間だった。おかしな客層の中でビールを飲む。寄生虫の無意識と人間の意識について話す。それから私の交際についてのメリットについて聞かれたので話す。また私の地元の田舎の時間が止まっている様子について話す。話題が飛躍しているようでいて、あまりそうではなかった。一つのつながりがあるように思えた(思えただけかもしれない)。話すべきことは限りなくあったが、17時に店を出て、帰宅して晩ごはんをつくった、私がそうしなければならなかったので。昼からまあまあ飲むと最近夜頭痛がするし、いや、それは夜飲んでも同じか、とにかく最近酒に弱くなった気がする。料理といはいえない料理をしながらラジオの続きを聴く。