マーブル模様の感情たち

通話相手と夜通し通話をした。通話相手は私のことをよくわかっていて、的確なアドバイスと苦言をくれる。私の中のとても深い部分を、素手で直接掴まれたようで今も眠ることが出来ない。

私は意思が弱い。弱いというか、意思は確実にそこにあるのだけれど言語として上手く機能しない。他者の行動を見て自分の行動を決める。要は流されやすいのだ。人に流されるということはとても楽だし、簡単なことで、今までもそういう風に生きてきて得をしたことは何回もある。しかし同じくらいの数だけ、傷ついてきたと思う。

私にとって一番大変なのは、誰が好きで、誰が好きではないかということを判断することである。友情と愛情と恋愛がすべてごちゃまぜ、マーブル模様みたいにぐるぐると渦を巻いている。たとえば仲良くしている男の子に、「好きだ、付き合ってくれ」と言われたときに、私はなんということもなくOKしてしまう。なぜなら「好き」だから。好きな人はそのマーブル模様ごとぜんぶ上に高まってくる感じだ。それは友情か愛情か恋愛かはわからない。

私が通話相手のことを好きだ、好きだといっていたら、「それってどういうこと?」と聞かれて困ってしまった。どの好きか全然わからない。私はそのマーブル模様の渦の中でぐるぐるとまわり続けていた。私は通話相手のことを友達だと思っているのか、それとも恋愛感情をもっているのか、人として愛しているのか?ほんとうにわからなくなってしまった。通話相手は長い間私の答えを待っていた。私は長い間答えられなかった。口が乾燥して、鼓動が早くなった。人を好きかどうかの判断をするときはいつもそうだ。上手く答えられずまごついてあなたのことはとても好きだということばかり繰り返していた。渦の中ではもっと知りたいと思う、恋愛として好きだという気持ちがあるし、もっと大きくこのまま友達として過ごしたい、楽しく話したいという気持ちがある。それはなんとなくわかるのだけれど、うまく言葉にできない。言葉にしようとすると喉のところに引っかかってとれない魚の骨みたいに、どうしようもできなかった。

通話相手は私のマーブル模様から時間をかけて一つずつ感情を抽出した。とても時間のかかる作業だったけれど、いつかはやらなくてはいけない作業だったと思う。私が他者に意思を伝えられないということの一番根本で絡み合って自分ではほどけなくなってしまった根を一つずつほぐしてくれた。

私はもう思春期の女の子ではないのに、だいたいの感情が未分化でラべリングができていない。他者には何も考えていない、耐性が強いなどといわれるけれども、結局のところ、私は感情が言葉になって出てくる前に何かしらの決断をしなくてはならない状況で他者に合わせて決断しているだけなのだ。

好きということはとても曖昧である。脳の伝達物質とか脳波とかでサクッとこの人のことは好きだと思っているという客観的な判断が下れば、それなりにあきらめもつくのに。しかしそんな装置はないし、一般的な人たちはそれを求めていないので、私はその判断を自分で行わなければならない。とても骨の折れる作業だ。そういうときに今日の通話相手のようにじっくりと一つずつの根をばらすような他者がいると私は非常に助かる。他者は偉大だ。


”感情を切ってはいけない”