2014年のお別れ

今週のお題「2014年のお別れ」

「2014年のお別れ」、なんだか映画のタイトルみたいだ。

私の2014年、失恋したりセクハラされたり恋人できたりカウンセリングしたり楽器弾いたりセックスしたり旅行したりしてなんかいろいろあって思い出せない。思い出が新宿駅みたいにとっても複雑な構造になっている。思い出同士がつながっててしまったり、階層構造になっているところがあったり、まだ工事中のところもあったり、あとは大江戸線みたいに地下にもぐったりするところもある。何度も何度も通ってみないと地図だけではどうにもならなくて、いきどまったり違う出口に出てしまったり逆向きの電車に乗ってしまったりする、みたいな感じ。自分でもよくわからない。ただ悲しいことは悲しかった気がするし、楽しいことは存分に楽しかった気がする。人の記憶、新宿駅に似ているかもしれない。

セクハラされた思い出(線路内人立ち入り?)、今年の最悪ランキング1位だったこともあって、フラッシュバック的に思い出すことが多い。セクハラのフラッシュバックは、セクハラされているそのシーンのときもあればまったく関係ないその人についての思い出みたいなこともあって、どちらにしてもかなり嫌な感じがあった。関連するワードや物に触れたときや、一人でぼんやりしているとき、あとは似たような老人を見たときにフラッシュバックは起きていて、一日一回は必ずあった。カウンセリングに行ったときに、「フラッシュバックが起きたときに自分がそのことについてどう思うかを意識的にメモしてみて」といわれて最近実践していた。そうしてわかったのは、”私はセクハラのフラッシュバックが起きたときに必ず相手が羽毛布団になる連想をする”ということだった。セクハラのフラッシュバックが起きると私はなんとか対処しようとして、イメージの中でナイフか包丁を持つ。ナイフか包丁で、セクハラ老害を刺す。けれど血も浴びたくないし、一回で心臓を突いて死んでしまうのも癪なので、相手を羽毛布団にして刺しまくる。羽毛布団は何度刺したり切りつけたりしても死なないし、無限に羽毛が出てくる。イメージの中では相手を無限に切り続けることができるので、気持ちが落ち着くまで私は一人で羽毛布団を切り続けている。こんなことをいつまでも続けていくわけにはいかないので、そろそろ現実的な対処を考えなければならないとは思う。そしてセクハラされたことをきちんと恋人に話していないので、話さなくてはいけないとも思っている。本当は2014年内にこの問題を終わらせたかったけれど、なかなか傷は深いようだな。

セクハラされた話を少し思い出しただけで恋人のことも考えないといけないし、楽器のこともサークルのことも大学の友達のことも思い出すし、性犯罪とか老人とか性とかについて考えてしまうし、芋づる式にどんどん考えが出てきてしまう。まったく整理できてない。私の2014年の新宿駅並みの複雑構造にはもうお手上げという感じ。時間をかけて3Dマップみたいなの作っていきたい。