春のはじめのイメージを思い出す

自分の部屋の布団に入って枕元に本を積んで、ただぼんやりと今日と明日のこととか昔のこととか考えながら本読んだりインターネットしたりする時が一番楽しい。最近ばばあになってきただけなのかもしれないけど、出かけても一刻も早く自分の家に帰りたいし、飲み会も以前のようにたくさんは開催しないし、疲れるのはほんとにご免だという感じで人と会うのも前から約束してないとかなり億劫でもうだめなのかもしれない。大学生活といってもそんなものあったっけくらいの記憶しかなくて、思い出そうとしても思い出す労力使うだけ無駄という思いがある。最近でもよく思い出すのは小学校のころのことばかりで、それも小学校4年生くらいの、友達とあそこの木に登ったよなみたいなことや田んぼの中の生き物眺めた時間のことを、なんというかきちんとした出来事というよりも風景や気候やにおいを思い出すようなそういう思い出し方で。私の思春期という思春期はまったくなかったことになってしまったのかもしれない。そういえば私は思春期になりたくなくて必死に抵抗していたことを思い出す。保健体育の教科書に書いてある思春期特有の行動特徴、たとえば女のこ同士で群れたりとか男の子を意識しすぎたりというのから逃れようと毎日戦っていた気がする。だから今だって友達に「男に媚びなすぎる」とかツイッターで「男なのか女なのかわからない」とか言われたりするのかもしれない。昔からそうだったけどいまもそのほうがいいと思っている。小学生のころ、自分の体が成長(いわゆる第二次の)をしていくのが本当に気持ち悪くて自分の体を見て吐きそうになったこともある。そういう意識はいまでもあって、たとえば妊娠出産みたいなことで自分の体が変わってしまうのは本当に恐怖を覚えるし、気持ち悪い。まあ人びとはそういうのやってもらって結構だけど、私の身体意識では無理があるのだろうなあ。

昔のことをこう、かすかに思い出して感傷に浸るのもよいけれど、そういう感傷に浸れる思い出を作るほうが優先だなと思う。なんというか、私が良く思い出すにおいや気候や風景は無垢な思い出にしか付与されないのかもしれない。中学校から先、人に合わせたり流されたりしてきたので、どこか無理が生じていたから思い出になりにくいのかもしれないなどと適当なことを考える。一番最近で思い出せるのは恋人と春の夜の横浜の海沿いを歩いたことや、秋のはじめに@teenstと大橋ジャンクションで蝶とか花とかを見ながら将来のことについて話したことだった。大学3年までの記憶、どこかに置いてきたのかもしれないけど、置いてきていいくらいのつらさやバカらしさがあった。大人のつらさや社会のばかばかしさみたいなのちょっと経験してちょっと大人になってた気がするけど、私はどんどん退行が進み、小学4年生くらいの感性までもどってしまったのかもしれない。でも私はそういうの、求めていたんだろうなあ。大人になることについてもうすっかり疲れてしまった。小学校4年生くらいの純真無垢な思い出に勝るとも劣らないイメージを、5年後10年後の春のはじめに、ふっと思い出したい。