夢の植物工場

こんにちは、pajamajpです。
三連休明けの月曜日の満員電車の中でこれを書いていたら、いま私の目の前の席が空いて私の座るべき電車の席があったというのに、みんなで押し合いへし合いしている間に割り込まれてなくなった。こんなことになんの意味があるんだろう。昨日オランダの植物工場について学んだのだけど、植物工場では、コンピュータに野菜たちが完全に管理されて収穫の日を待つということだった。ちなみに工場では従業員の性格までデータ化されていて管理されるらしい。仕事、主体性とかなんとかはどうでもいいし、満員電車に乗らずに済むなら私も植物工場ではたらきたい。そうなると、最近は生活を恋人にほとんど管理されているので、仕事もコンピュータに管理されて、ということになるけど、まあ私は余暇のために存在していればいいかな。
恋人、今日は遅くなるみたいだから今日みたいな日は出かけるチャンスなんだけど、出かける用事もお金もないし私はなぜか明日も休みだし、家に帰る。生活とか、出かけるとか、そんなところまで管理されないといけないのか、お前に自由はないのかと、この前母と会ったときに言われたけれど私は管理されていないと毎日ツナ缶かけごはん食べるみたいになっちゃうからだめなんだ。とはいえ、こんなことを続けていて私は恋人がいなくなったらどうするつもりなんだろう?まあ私は植物工場で言うと植物側の人間なので、管理するものがなくなれば枯れるしかないのかもしれない。恋人がいなくなったらどうするかよく考える。なぜなら管理することにもう嫌気がさすことだってあるだろうと思うから。恋人、なぜ私と3年も付き合っているのか不明。惰性ならとっくに別れているけどそうではないし、なぜなんだろう?
このまえ友だち(と私が思っていた)が死んだことについて、たくさん思うところがあって、共通の友人とそのことについて話すと、些細な思い出みたいなのがたくさん思い出されて、全部大切、大切、大切だな。会ったり話したり名前をよばれたり音楽を聴いたり騒いだり冗談を言ったり笑ったりしたことを絶対に忘れたくないよ。私はそういう人間の人間らしいところだけたくさん集めて立派な野菜になって収穫されたいよ。