パジャマジェーピーと、喝采を

こんばんは、パジャマジェーピーです。なんだかこうやって皆さんにお話するの久しぶりですね。あっというまに3月、大人になったら時間が経つのが早いというけれど、私はそうじゃないと思っていたけれど、やっぱりそうなのかもしれない。最近の楽しみといえば週に1回のオードリーのオールナイトニッポンradikoというアプリのタイムフリーで一人のときに聞くことくらいで、現実感のない楽しさばかりに逃げている。現実世界でも楽しいことはいっぱいしているはずなんだけど、忘れたいことのほうが多くって。 

personの語源がpersonaであると話してくれたのは私の数少ない友人の一人だったっけ。人が他者と関わる場合、常に仮面を被っており、本当の私とはそもそも、仮面の集合体であるという話。最近の私は疲弊していて、客やら友人やら恋人やら新しい職場の人間やら会う人多すぎて仮面の取替に大忙し。まあ道化に転じることが生業なので仕方ないのかな。personの語源がpersonaとしても、両手に余るくらい仮面を持っていて、最近の私は持ちすぎているのでは?最近一人で動く時間があんまりなくて、そういえば私ってどんな仮面の集合体だったっけって思い出す暇もあまりなかったのよね。

仕事、親子向けのキャバクラみたいなものだし、天職というわけではないので別にやめてもいいんだけど、いまのところやれているというのが現状、私が転職に自信がないってこと最近気づいて、みんな自信を持って私にはこれができますあれができますと言えてすごいよね。自信を持って赤の他人に自分をアピールできる人間性をいままでの無益な人生の中でも獲得したかったね。3年前(つまり、一瞬就活したときだ、)も同じようなことで悩んでて、私は私固有の中2病的考えを認めてそれを強みにするしかないっていう結論に至った訳だけれども、なんかそれって形がなくて、実感持ちにくいよね、中2病や考えには取得できる資格や証明書もないし。なんか人から評価されたりああだこうだ言われたりするのもう疲れたよねパトラッシュ。まあせいぜい自信持てるように自分で学べよってことだよな。同時に、それができれば苦労はないんだけど。

そういえば、私はオタクなのでデュラララの折原臨也が大好きなのだけど、私はああいう、愚かな人間が人間関係の中で痛みを感じたり辛くなったりしてる様子が大好きで大好きで堪らないのと同時に、自分が痛いことをされたり辛くなったりすることがすっごくすっごく嫌だみたいな矛盾を孕んだ人間愛に、なぜだか共感しちゃうよね。