人間の国

6月の終わりから7月前半にかけてずっと良くない感じが続いていたことでみなさんから心配してもらったりして、なんとなく申し訳ない気持ちになったり、おちこんだりもしたけど私はげんきです。

まあ私の悩みは取るに足りない、一般的な悩みなので内容について書くとみながっかりするだろう。またそういう悩みは恋人に相談しろよといった意見はあるだろうが、恋人については生活共同体といった感じで、気持ちのアップダウンについてはお互い口を閉ざしている、良くも悪くも。私は一般的な、家庭でよく話す女ではなく、会社の愚痴や実家の話、私自身の考えについては必要でない限り話さない(ようにしているのかもしれないけれど)。そうなってくると会社と家の往復の生活の中で話し合いという話し合いがおよそ存在していないことになる。通常の生活なら全くそれで事足りるのだけど、自分自身のことでどうしても考え込んでしまうことがあると、夜な夜な枕を濡らすみたいなことが起こって、友人とたまにあったときに暴発することになる。その頼りにしている友人も、もうすぐ海外にいくとのことなので、私は何かしら枕を濡らさずに済む方法を10月までに編み出さなくてはいけない。海外に住む決断をする自由さ、なぜか私は失っている。私は保守的な人間になっているし同時にそれがどうしようもなく憎い。

宝石の国の漫画を8巻まで買って読んでいる。ただ擬人化された宝石がワイワイ過ごす話かと思っていたら、話としては普通に戦争で、そのギャップを気に入って読み進めている。物語の中では石の特徴を活かしたキャラ設定になっていてそれらが適当にワイワイやっていてもそれなりに楽しめるなあという印象はあり、普通に売れそう(というか売れている)で、伊勢丹とかでやっていたイベントもそれぞれのキャラクターと石とを展示するようなものだった。私は宝石や鉱物自体は好きだけれど、その石とキャラクターとの短絡的な結びつけと商品化、それから消費されるキャラクターとしての宝石が苦手な感じがしていた。しかしこの話の一番の魅力は主人公であって、宝石ではないということが本当に本当に声を大にして言いたい。まあ確かに、宝石というのは、キャッチーで取っつきやすいものではあるとは思うのだけど。主人公の最大の魅力は姿形性格全てがどんどん変わっていくことである。それも、もともとの宝石の特性ではなく、失われた体の部分を異なる素材の物質で代替することで、自分が変わっていく。その変化があまりにも急激なので、長い漫画読めないマン(私)に優しい。8巻の間で、手足顔がすべてそれぞれ別物に置き換わってしまった。そしてもう見た目なんか別人になってしまったのだけど、別人の身体をもらっていく中で頭が良くなって、頭が良くなる中でもともとぼんやり持っていた欲望や目的がどんどん研ぎ澄まされていって、それでも自我は常に保ち続けているという、一体心はどこに宿るのだろうね?人間は脳みそだけど。書いていて思ったが本当に私はこういうのに弱いな(草薙素子然り)。自分の外側が変わっていくのに自我を保ち続けられるっていいよね、魂って感じで。宝石の国の主人公、フォスフォフィライトが私の新しい憧れ、草薙素子より身近(石だけど)な感じがする。でも私は人間なので手足頭を取っ替えることできない。そうすると私が変わりたいと思うとき、やはり何かを投げ出す・捨てる・取り替えるような意志・決断・勇気が必要、それさえあれば、私のいまのぼんやりとした欲望や目的が、どんどん研ぎ澄まされていくのでは?と、いう淡い期待。

 

 

 

サロメと思われる構図の好きな表紙です。